人生のスパイスとしてのストレス

戦国時代のエピソードに、徳川家康が一番美味しい物は何か?と 家臣に問うたという話があったと記憶しています。

皆、思い思いの食べ物を挙げる中で、一人は「塩です」と述べたそうです。

突拍子もない答えですが、確かに、料理から塩が抜けてしまうと、 間の抜けたものになってしまいます。 また塩が多すぎてもしょっぱくて食べられませんし、長期的に体への影響も心配です。

塩加減とは難しいものです。

人生のスパイス

汎適応症候群を提唱した人物でもある、ハンス・セリエという人は、「ストレスは人生のスパイスである」と述べたそうです。

人生のスパイスストレスも全くない方が良いように思えますが、まさに料理における塩のような
役割を人生においてはたしているのでしょうか。

お粥は、全く調味料をいれなくとも、食べる ことはできますが、段々と物足りなくなる こともあると思います。

そのような時、微妙な塩加減で、おかゆの 印象がぐっと変わると聞きます。

全く塩がないときと、わずかに塩を加えたときは 違うようなのです。

適度な緊張

リラックスということを考える中でも、力を抜ききってしまって、良いのだろうか
という疑問を感じることがあります。

心理学的方法の中で各種リラクセーションに用いることも可能な方法がありますが、
時に、適度緊張という概念が説明される場合もあります。

ストレスと緊張はまた別概念ですが、全くフリーな状態が心地よいとも限らないようです。

ストレスに生きる意味を支えられている

話がだいぶ大きくなってしまったようですが、時に、ストレスによって生き方が示される という経験もあると思います。ストレスなどなければよいのですが、どうしてもやってくる ものという性質もあるわけです。

張り合いがあるという表現もあるくらいですから、ストレスは我々に何かをもたらしてくれ ているという面もあるのかもしれません。(目的論的な発想です。外部サイトをご参照下さい)

しかし、このような心境に無理やり到達させようなどと考える必要はないでしょう。

もし、意味を感じるにしても、それは後から結果としてというぐらいのニュアンスでは ないでしょうか。

圧倒的なストレスに直面した際、十分に悲しんだり、悔しい思いを体験するような時を 経てということになるでしょうか。

世間は一刻も早く前向きにということを勧めてくるかもしれませんが、意味をみつける くらいに大事なことが、悲しみや悔しさの中に含まれているのではないかとも思えます。